時代は文武別道!? 文武両道の精神が才能を潰しているんじゃないか

こんにちは。先日どこかの記事で「文武別道」という言葉を見かけました。今の日本に必要なのはこれだ!と思いました。

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文武両道 

おそらくこの言葉は日本で学校生活を送ったことがある人なら聞いたことがある、言われたことがある言葉でしょう。簡単に言えば「勉強も運動もできる人」という意味ですね。学校の先生のほとんどがこの言葉を生徒に与えます。バランスよく、偏りがない人間が好まれるわけです。じゃあ何故バランスのいい人が良しとされるのか?

それは欠点がないからです

人間って人の良いところだけを見るってなかなかできないんですよね。必ず悪いところも見てしまいます。だから、勉強だけできる人、運動だけできる人を純粋に良しとすることができないのです。じゃあ両方とも頑張ればいいじゃんってなるわけですがここに落とし穴があります。

 

両方ともトップレベルになれるの?

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両方とも世間的にすごいとなるレベルに達する人なんてほとんどいません。それができるのがいわゆる天才というやつです。ちなみにここでいうトップレベルとは高校生で表すと、勉強だと東大に合格する、部活だと全国大会に出場するくらいのレベルです。そんな人ほとんどいませんよね。

でもそんなレベルになる必要あるの?

って疑問に思う人もいるかもしれません。—―都道府県内でそこそこ頑張った、○○大学にも合格したし周りも認めてくれてる、十分よくやった。―― ぼくがこれでした。個人的にも当時は満足していましたしいい人生を歩んでいると思っていました。ですが最近感じるのは本当の武器がないということです。成功するためには価値のある人間に、価値を生み出す人間にならなければならない。そのためには普通の人にはない武器がいる。そう考えたら、

何をやるにしてもトップにならなくちゃ意味がないんです。

 

凡人が突出するには

いろんな方面に優れることが可能なのは天才だけです。じゃあ凡人が優れるためにはどうするのか?

一点集中

これしかありません。極端な話ですが、平凡な人は能力に振れる自分の持ち数が100しかないとします。これは増えたり減ったりすることはありません。そして一度数値を振ってしまうと戻せないとします。この場合、文武両道に忠実に従う人はやがて文50:武50の人間になります。これは欠点もないけど突出もしていないですよね。

一方、一点集中した場合だと文100:武0または文0:武100の人間になります。これは片方に関してどうしようもない成績になる代わりに他人より優れたものを得ることになります。

この話で言うと、天才というのは持ち数がそもそも200とかあって、両方に100振ったりできる人です。

 

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必要とされる人間はどちらか

先ほどの話で世の中に必要とされる人間はどちらかとなると明らかに後者ですよね。優れた方面に進めばその世界で活躍することができるわけですから。前者が必要ないと言っているわけではありません。ただ、代わりとなる人が多くいて特別な存在にはなりにくいです。

 

文武別道がもたらすもの

文武別道

「勉強か運動かどちらかだけの道を進む」

精神的にも肉体的にも成長、変化が著しい10代。そのときの過ごし方で性格や考え方が大体決まりその後の人生に大きな影響を与えます。ある物事にだけ集中していれば日本や世界で活躍する人材になれたであろう人もバランスをとることによって普通の人になってしまう。これは非常に残念なことだと思います。その人だけでなく世の中にとってもプラスになることを消してしまうのですから。

文武別道は若者の才能を潰さず、むしろ伸ばしていくすばらしい考え方だと思います。

 

まとめ

欠点ばかり見るのではなく、伸びるところをどんどん伸ばすような空気が好きです。

 

Let's enjoy life!!!